Column 26
世界遺産の人気投票で常時ダントツトップに君臨するのが、南米ペルーのアンデス山中に浮かぶ空中都市マチュピチュ。完全な計画都市でありながら、いまだにその存在そのものが謎に包まれた遺跡だ。征服者スペイン人による破壊を免れ、建設当時の姿を今に伝える稀有な存在であり、ペルーだけでなくラテンアメリカ全体を代表する歴史遺産でもある。まともに数えたことはないが、マチュピチュ訪問は合計60回を超えているはず。最初に訪れたのはちょうど30年前、2泊3日のインカトレイル経由だった。
今回(2011年12月)、制作中のマチュピチュ本の写真撮影を主目的に、久しぶりのインカトレイルを歩いたので、そのさわりをご報告いたします。
自然環境と遺跡の保護を目的に、近年マチュピチュに至るインカトレイルはさまざまな規制措置が取られている。個人では入域できず、必ずライセンスのあるツアー会社が催行するトレッキング・ツアーに参加する形となる。一日当たり500名までしか入域できず、しかもこの人数の中にはガイドやコック、ポーターまで含まれている。また、ポーター1人当たり25キロまでしか担いではいけない重量制限まであり、人数の多いツアーだと参加客よりもポーター用の食糧やテントを担ぐポーターの方が多いという不思議な編成となってしまう。撮影用の三脚も文化庁から特別に許可を取らないと持ち込めないし、キャンプサイトも指定された場所のみ。そのかわり自分で持つのは雨具と水、行動食とカメラぐらいで、寝袋や着替えなどの個人装備もポーターが運んでくれるし、もちろん食事からテントの設営や撤収まですべておまかせという「至れり尽くせり系トレッキング」となっている。
4,200mの峠越えも含まれるが、自分の足でたどり着いたマチュピチュの眺めがひときわ印象深いものになることは言うまでもない。とくに登山の経験も必要なく、通常の運動機能があれば問題ないが、乾季の5月から9月の間は少なくとも3ヶ月以上前から予約しないと入域できないので要注意。もちろん、高度順応にも気を配りたい。
第1日目
起点となるのは、クスコから車で1時間半ほどのkm82駅。オリャンタイタンボ遺跡からウルバンバ川沿いに、マチュピチュに行く鉄道と並行して延びる道路の終点になっている。オリャンタイタンボの町で合流したジモティーのポーター3名と、コック兼ポーター頭のフーちゃん、ガイドのみっちゃんと合計6名で3泊4日のトレッキングに出発した。
まずは、ルートの入り口のチェックポイントで、パスポートやチケット、ガイドのライセンスなどを提示して入山手続きを済ませる。吊り橋を渡って、対岸に点在するピスカクチョ、カナバンバなどインカの遺跡を眺めながら、しばらくは川沿いの平坦な道が続く。12月のこの時期、アンデスの山は雨季まっただ中だが、この日はポカポカ陽気の穏やかな日差しに溢れている。汗ばむほどでもなく、ほどよい風が心地よい。雨季でも満月の前後は晴れる日が多い、という言い伝えを信じて選んだ日程だったが、フーちゃんいわく満月を境に天気が変わるとのこと。先週まで晴天が続いていたようなので、この先天候は悪化かも? ただし雨季といっても、一日中雨が降りっぱなしということはほとんどない。
ウィルカラカイ遺跡を過ぎた地点から、川沿いのルートを離れて緩い登りが始まる。その昔のスタート地点だったkm88駅と、ケンティマルカ(ケチュア語でハチドリの館の意味、パタリャクタとも呼ばれる)の大規模な段々畑や遺跡を眼下に眺めながら、ウルバンバ川支流のクシチャカ川沿いに樹林帯の中を延びる石畳のインカ道をたどる。少しずつ高度を稼ぎながら、谷をつめていくルートだ。
集落のあるタラヨックで昼食。いちいち食事テントを建て、テーブルに椅子、手や顔を洗うお湯のサービス付という大名旅行ぶりにびっくり。あげくにコックのフーちゃんは純白のシェフ服に着替えて給仕してくれる。熱いスープにメインディッシュ、デザートに食後のコーヒーと、あまりの優雅さには驚かされるばかりだ。さすがにグルメ大国ペルーだけあって、メニューもこっているしとにかく美味! トイレなどの施設もしっかり整備されている。いつの間にこんな贅沢ができるようになったのか、いやはやペルー恐るべし。
のんびり休んでから、再び樹林帯を抜けるインカ道を前進。カーブした石組みが美しいパタワシ遺跡を撮影してから、指定されたワイリャバンバ(緑の館の意)のテン場泊まりとなる。この日は距離にして約15km、標高差約500m、合計で5時間弱の行程だった。残念ながら午後からは雲が多くなり、雪をかぶったベロニカなどの峰々は姿を見せてくれないまま。ここまでは人家があるため、地元民はもちろん荷を積んだ馬やロバも行き交うし、道端には飲み物やスナックなどを売るキオスクも見受けられる。農家の軒先ではチチャというトウモロコシを発酵させたビールも売っていて、ポーターたちもガソリン代わりにがぶ飲みしている。標高は3,000mほどで夜間でも冷え込むほどではないが、夜半から雨が落ち始めて明け方までずっと降り続いていた。
第2日目
この日は第一の峠4,215mまで標高差1200mを登ってから、宿泊地パカイマーヨまで700m下るというコース。やたらにぎやかなアングロサクソン系グループに前後を挟まれて、落ち着かないこと甚だしい。
前半は樹林帯の中の石段をひたすら登る。しっかりと整備されたルートで、とくにきついというほどでもない。9月に行った「第2のマチュピチュ」とも呼ばれるインカ時代の遺跡チョケキラオは、アマゾン源流のアプリマック川まで1,000m下ってから2,000m登り返し。2日間ジグザグの急坂をただ登り続けるという、辛く厳しい行程だった。それに較べると、もう楽勝~ってなもんである。
登るにつれて樹木は低くなり、イチュというアルパカやリャマの餌になる草が増えてくる。といっても森林限界ぎりぎりぐらいで、やがて峠に着いてしまう。残念なことに霧が出てきて、展望はほとんどゼロ。30年前はもうちょっと感動したような記憶があったが、あれはどこか違うブランカ山群のピークでのことだったのかも知れない。
霧が晴れるのをしばし待ってみたが、びくともしないため前進開始。下り始めはかなりな急降下で、杖がないと怖いほど。ポーターは山盛りの荷物を担ぎながら、裸足にオホタ(タイヤ製のサンダル)でほとんど走り下る勢いだ。といっても、石畳のルートはきっちり整備されているので、スリップにさえ気をつけていえば取り立てて問題はない。パカイマーヨにもトレッキング・ルートを管轄している文化庁のチェックポストがあり、いちいちパスポートや書類のチェックを受けなくてはならない。ガイドは酸素ボンベや血圧計の携行も義務付けられており、たまにチェックもあるとのこと。持っていないのが見つかると、ガイドもトレッキング会社もライセンス取り消しの厳しいペナルティーが待っている。もちろんゴミの投棄などもご法度、清潔なトイレにはシャワーも完備、ただし冷水です。
みっちゃんの話では、たまにコンドルやシカも見られるとのことだが、目に入ったのはコバルトブルーのハチドリだけだった。ただ、谷間を埋め尽くす雲と霧の表情豊かなこと。いくら見ていても、ひとときも飽きることがないぜいたくな夕景だった。
第3日目
パンケーキとソーセージの朝食の後、霧に埋め尽くされたルートをたどって、まず出会ったのがルンクラカイ(籠の形の小屋)という遺跡だった。中心部の円形のスペースを取り囲む、全体は半円形のオシャレな構造の石組みで、霧に浮かぶ幻想的な雰囲気に満たされている。何らかの儀式が行われた神殿様の遺跡だが、思えばその昔は遺跡内にテントを張って、石垣の陰でキジ撃ち用足しをしたんだっけ。しばし霧が晴れるのを待ってみたが、次第に雨脚が強くなったため撤収、先を急ぐ。
低木とイチュの生い茂る斜面をつめて第2の峠3,780mまで高度を稼ぎ、そのままダラダラ下り始める。トンネルをくぐった先の石畳を下って左側の登りルートを取ると、サヤクマルカの遺跡が現れる。インカトレイルのルート中に点在する遺跡群のなかでも、要塞と神殿を兼ねた複雑な構造の重要建造物の一つだ。川沿いを離れると石組みの段々畑は姿を消すので、やはりこの遺構は宿泊や休憩などを目的に築かれた、中継地点としての防衛的機能が優先された存在と言えるだろう。石壁を利用した水路も引かれ、水洗トイレや水浴場も完備。部屋の入り口両側の壁には、石を穿った丸い穴があけられている。扉を固定するために削られたものだろうか、インカ皇帝をはじめとする重要なセレブ階級が利用した施設であることは、その複雑かつ精緻な構造からもうかがえる。この穴にペット兼SP役のピューマをつないで、ガードを固めたという説もある。
緩いアップダウンを繰り返しながら、下方に見えていたコンチャマルカ遺跡を経由して今晩のキャンプサイトまで先を急ぐ。石畳のルートは再び樹林帯に入るが、ここまでくるとすでにアマゾン側の熱帯雲霧林帯の入り口。植生はだいぶ変化して、サルオガセやシダ類、エアプラント類、ランの花なども多くなってくる。
インカトンネルを抜けて、プユパタマルカ遺跡を見下ろすテン場に着いたとたん、激しい雨が降り始めた。設営されていた食テンに逃げ込み、すかさず出されたお湯で顔と手を洗う。通常は朝一でマチュピチュに入場するため、もうひとつ先のウニャイワイナかインティパタ遺跡のテン場に宿泊することが多い。しばらく昼寝をしてから外に出ると、雨上がりの開けた谷間の先にマチュピチュ峰が遠望できた。深く刻まれたウルバンバ川の谷底には、遠くマチュピチュ村(旧アグアス・カリエンテス)の家々も見える。反対側には深い渓谷を隔てて、ビルカバンバ山群の盟主の聖なる峰サルカンタイ(6,271m)が霧にかすんでそびえ立っていた。ここからの夕景は、もう言葉にできないほど素晴らしい!
暖かいアスパラガスのポタージュをすすりながら眺める星空もこれまた絶品!
第4日目
昨日はガスに覆われて全貌を見せてくれなかったソライやプマシーリョなど、ビルカバンバ山群の6000m峰が雲の合間から顔をのぞかせていた。放牧されているリャマと並んで聖なる山を拝んでから、お弁当のサンドイッチを受け取ってポーターたちとはここでお別れ。この先はほとんど下りの石段が続く。
標高差1,000m近くを降下すると、インティパタとウニャイワイナ遺跡の急な階段テラスが姿を見せる。㎞107からスタートするショートルートとはここで合流し、マチュピチュ入り口のインティプンク(太陽の門)へと続いている。
マチュピチュに至るルートは、このインカトレイル以外にもいくつか存在していた。もちろん一番楽なのはウルバンバ川沿いに下って、遺跡直下から400mの登りでマチュピチュに入るルートだが、雨季で川が増水すると危険な難所も多いため、インカ皇帝や貴族は輿に担がれてこのインカ道をたどってきたと考えられている。クスコからマチュピチュへの移動ルートを考慮しないと、マチュピチュの遺跡としての存在理由は特定できないだろう。
さらに、マチュピチュだけではなく、周辺の遺跡まで含めた面としてインカの広がりや在り方を考えないと、遺跡の性格もつかめないだろう。マチュピチュにつながるインカトレイルの一歩は、空中都市の謎を解き明かすアプローチでもある。
てなわけで、マチュピチュを一言で言い表すとインカ・セレブがくつろいで過ごした「リゾート」であり、また遺跡内の神殿遺構の在りようからは「宗教テーマパーク」としての横顔もうかがえる。
標高3,400mのクスコほど寒くはなく、アマゾンのジャングルほどは暑くもなく、病気や害虫も存在しない避暑地としては最適の地だ。近場には温泉もある。壮大な大自然の景観と、その中に築かれた人間の手による建造物との見事なまでの調和が、やはりマチュピチュの持つ最大の魅力だ。訪れるたびに異なる表情を見せてくれるマチュピチュは、いつまでもアンデスに刻まれた天空の聖域であり続けることだろう。
これまでは考古学・人類学の専門家と一緒に行動することが多かったが、このところ耐震建築や防災など工学系の学者とのプロジェクトに参加している。立ち位置が変わると、同じ遺跡が全く違って見えるという経験は自分にとっても大きな驚きで、マチュピチュの在り方もまた新しい側面が見られるようになってきている。
ところで、今回もまたマチュピチュにまつわる新たな謎に出会ってしまった。マチュピチュ内のとある神殿の奥に「緑の石」がはめ込まれており、この石に手をかざすとアンデスの地母神パチャママが願いをかなえてくれるそうな・・・。地元ガイドもほとんど知らないこの謎の緑の石、どこにあるかはご一緒した方にだけこっそりお教えいたします。
(カーニバル評論家/白根 全)
ペルー渡航のカリスマ、カーニバル評論家・白根全氏とワイルドナビが企画した、食をテーマに南米・インカの謎に迫るペルーの旅。
☆白根全さんと食べ歩く/山と遺跡をめぐる「食べ歩き」ペルー8日間
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